こんにちは。haruです。
今日は尊敬する先輩からヒントを頂いたお話。備忘録的に書いておきます。先輩の意図した内容とはちがうかもしれないし、一般論でもありません。あくまで、私見です。
ひとは完全に依存する状態で生まれてきます。かまってもらえるまで泣く、おしっこ、うんちは自分で処理できない、おっぱいももらえるまで待つしかない。両親、特に母親に依存した状態です。ひとりで生きていける赤ちゃんはいません。
そこに世話する大人がいて成り立つのです。依存する→世話を受けるの絶え間ないやりとりでひとは成長します。
極論をいえば自立とは依存を否定することでしか成り立ちません。そこに反抗期が加わるわけです。親のやることなすこと気にくわない。そうしてものすごい勢いで大気圏を突破しおとなになっていきます。
しかし、この依存→自立のプロセスのなかで「上手に依存しながら自立する」というしなやかさを持たずに自立を達成したひとはしんどい。また自立をできなかったひとも。
そういうときに依存症の存在が浮かび上がってきます。手っ取り早く依存できるもの。そして効果がわかりやすいもの。親に甘えられなかった分を満たすように物質やプロセス(過程)に依存していきます。
依存症のなにがよくないかというと、生活を障害するからです。生活が破綻するまで依存してしまう。それまで自立して積み上げたものをじわじわと破壊していく。
すべてを親子関係で説明できるとは思っていませんが、おおきな問題であることは間違いありません。しかし、そこに拘泥してもよくないと思うのです。うらみつらみのエネルギーで過去をじくじく言うのは誰のためにもならない。
要は、「いま、ここ」をよくすることです。親にも親の歴史があり、あなたにやさしくできなかったには理由があるということです。親を責めるだけでは生産的ではなく、親を理解して乗り越えることだと思います。
依存の問題というのは根っこは親子関係にあることがおおいというのが個人的な印象です。そこを認識して乗り越えていくということ。それをお手伝いできたらなと思います。
高齢になったとき、ひとはまた依存状態になります。そのとき上手に依存できるように年を重ねていきたいと思います。
haruでした。
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