精神疾患をうけいれるということ

こんにちは。haruです。
あなたは、自分が精神疾患といわれたらどんな気持ちになりますか?

「やっと認めてくれた」という気持ちになるひともいれば「ちがう。精神疾患なんかじゃない」というひともいる。

これが高血圧だと、「あなたは180mmHgあるので高血圧ですね」といわれたら問答無用で受け入れざるを得ない。降圧薬も積極的にのむかもしれない。のまないひともいますが病気を認めないひとはいない。

これが精神疾患になると、「この数値が○○だからあなたは△△です」といえないのです。要は生物学的指標がないんですね。精神医学の教科書にかいてあることと、精神科医の経験によるところが大きい。

こう書くと胡散臭く聞こえる気がしますが、精神症状をとらえる力は精神科医はしっかりトレーニングされていますし、精神症状の記述はかなりの年数蓄積されています。その歴史のうねりの中に現代があり、刻一刻と診断学は進歩しています。

その流れのなかでの診断。診断とは単なるラベリングでなく、患者さんの自己理解や援助に役立てなくてはならない。「○○という症状があるので(暫定的に)△△という診断です」といい放つだけでなく、それを聞いた患者さんの反応をみる。「やっと認めてくれた」というひとは安堵の表情を示すでしょうし、「認めたくない」ひとは顔がこわばるでしょう。

その場合まずは患者さん自身のスティグマ(偏見)と向き合わなければいけない。患者さんがその告知された疾患にどのような思いを抱いているか。薬を処方されることをどう思うのか。また患者さん周囲のひとはどう反応するのか。拒否的なのか、受け入れる方向なのか。それにより患者さんが受ける影響はどうなのか。

そういったことを吟味して、患者さんの診断を告げます。精神疾患を受け入れることは、ひとや疾患によってはとてもエネルギーを要する作業なのです。

セカンドオピニオンを求めるのもひとつの手段ですが、エネルギーも消耗するしドクターショッピングを繰り返していては訳のわからないことになりがちです。

精神疾患を受け入れられなくても(病識が獲得できなくても)しんどいかんじ(病感)をもたれて薬はのむという患者さんもおおくいらっしゃいます。診断をくだされたら騙されたと思ってくすりを飲んでみるのもひとつかもしれません。それで楽になればもうけもの。

診断を受け入れられないひとは年単位で経過をみていくことになります。その間いろんなことがあり、徐々に診断をうけいれていく様は人間のひとつの成長の証のようにも思うのです。

そのためにも適切な診断をつけることの必要性をひしひしと感じるのでした。

haruでした。


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